アンナ・マグダレーナ・バッハの為の音楽帖
2017/02/01
インベンションと並んでポピュラーな「アンナ・マグダレーナ・バッハの為の音楽帖」
子供達が最初に触れるバッハの曲目にきっと入ってくるでしょう
こんなにバラエティ豊かな、大バッハが家族のために編纂した曲集なのにピアノを習う子供達がバッハに来て挫折する子が多いと聞くと胸がいたみます
曲目を見てみると、ケーテン候宮廷歌手でもあった新妻を意識したのでしょう、「鍵盤小曲集」というタイトルにしては歌が入った曲も多いですね
それぞれの曲を鍵盤でなぞるだけではなくて、子供達に理解できる、楽しめる楽曲として伝えてあげたいものです
日本ではZ社の改訂版が一般的なのでしょうか
バッハさんの家族がどんな解釈で弾いていたのか。原典版で考えてみませんか?
べーレンライター社の原典版と、布装、金文字押しの愛蔵版をご用意しました
こちらはオリジナルのバッハさんからのプレゼントをイメージした愛蔵版
ハードカバー、緑色の布装でタイトルの頭文字は金押しです
価格は税前で¥4,140 (税込 ¥4,460)
一部筆写譜のコピーはありますが、基本的に楽譜はきれいなプリントです
こちらは実質本位、べーレンライター社の Urtext 原典版 です
税前¥1,610 (税込で¥1,740)
価格は2017年2月現在。出版元の価格変更や為替の変動により予告なく価格が変わることがあります
弊社ショッピングカートの「書籍・教材・CD」ページ(下記)からご購入ください。 特に愛蔵版は冊数に限りがありますので、売り切れていたらご容赦ください
書籍・教材・CDショッピングカート
この楽譜のGeorg von Dadelsen氏による前書(独文)の和訳です:
アンナ・マグダレーナ・バッハの為の音楽帖 前書
「生活保護を受けていた、59歳、アンナ・マグダレーナ、旧姓ヴィルケ、ハイン通りにあるトーマス教会音楽総監督(トーマスカントル)であったヨハネス・セバスチアン・バッハの後家」。ライプツィヒ市の1760年2月29日付けの戸籍死亡記録に書かれているものである。バッハが彼女のために残した2冊の楽譜集で世界的に有名になったこの女性とは、一体どんな人物なのだろうか?
彼女の生まれについて手短に見てみよう。1701年9月22日、宮廷トランペット奏者であるヨハン・カスパール・ヴィルケの7人兄妹の末子としてツァイツで生まれ、姉と共にプロの歌手を目指した。1721年の夏、宮廷ソプラノ歌手としてケーテンに行くことになった。その数ヶ月後、1721年12月3日に、彼女は1年半前に前妻に先立たれた16歳年上のバッハと結婚。前妻との間の子供4人に加え、二人の間にも13人の子供をもうけたが、大きくなるまで生き残れたのは6人だけだった
バッハが亡くなった時彼女は48歳だったが、未成年の子供達の世話をするため再婚はせず、8歳と12歳の娘二人を連れて親しい知人家族の元で生活をしていた。記録にある「生活保護を受け」という言葉にあるように本当に彼女の生活が困窮状況下であったかどうかは、定かではない
その他の彼女の個人的な情報は少なく、むしろバッハによる2つの楽譜集が極めて貴重な資料である。2冊のうちの古い方、1722年に書かれたものはフランス組曲の一部が脱落して不完全な状態であり、彼はその数年後の1725年には2冊目を書き始め、そこで多くを補ったと見られる
この2冊目は特に愛らしく製本してある。カバーは緑染め羊皮紙をかぶせてあり、表と裏、そして背表紙は金の装飾で飾られており、表表紙には金の縁取りにA.M.B.と1725が打ち込まれている。のちに、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハによってフルネームで記載された
バッハはこの楽譜帳に2つの曲を書いたが、これらはのちに初歩のピアノ練習曲として使われた。その他の多くの短い譜についてはアンナ・マグダレーナ自身の執筆にもよる。メヌエット、ポロネーズ、行進曲など、古くからあった曲もあれば子供達が挑戦して書いたもの、短い楽章などもあり、それはまるでバッハ家を訪れた客人たちが書き記していく家系記録のようなものであった。5ページ目と6ページ目にある有名な2つのト調のメヌエットは、長年にわたりバッハの作品として知られてきたが、実はドレスデンの宮廷オルガニストであるクリスティアン・ペツォールトによるものであり、28ページ目のポロネーズは有名なヨハン・アドルフ・ハッセによるものだった。短編の声楽曲、歌やコーラスもあり、かつての宮廷歌手やその子供たちに歌われたとされ、子供達の始めの弦楽器の練習曲や41ページ目の通奏低音など、子供の教育用に使われた。まさにこの小冊子にはバッハ一家全員が登場し、家族で演奏する曲集になっていった
この冊子全体、もしくは各楽曲の詳細は、新しいバッハの本のⅤ/4版の批評、もしくは同出版社から刊行されている実用書版(BA5115)の「特別注釈」からも読むことができる。聖トマス教会のカントルであったバッハとその家族の活き活きとした日常風景や聖トマス教会楽師長の家庭生活の情景はベーレンライター社から刊行された1725年の楽譜帳のファクシミリ版で垣間見ることができる(Documenta Musicologica, 2段目:手書きファクシミリ、XXV版、カッセルなど、1988)
この版は主にピアノのレッスン用に構成されたため、実用面の観点から楽曲1番、2番、30番と31番は省かれており、その代わりにカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの初期のピアノソナタ2曲を追加している
留意事項
作品名を除き、楽譜の中で編集者による追加事項にはすべてに印がつけられており、斜体文字、スラーやタイ、その他の記号は小さいか薄いステッチで強調されている。そのため、原本通りの文字やf、pなどの記号はまっすぐで記述されている。変化記号は現在のルールに従って記載。編集者が独自の裁量でつけた追加の変化記号(つまり現在のルールに従えば必ずしも必要ではないもの)は、より小さなステッチで記載されている
前書筆者:Georg von Dadelsen
●原文: Bärenreiter-Verlag
Bach, Johann Sebastian
Klavierbüchlein für Anna Magdalena Bach 1725
序文より
●翻訳 浅野容子
©2017 Coastal Trading Inc
「生活保護を受けていた、59歳、アンナ・マグダレーナ、旧姓ヴィルケ、ハイン通りにあるトーマス教会音楽総監督(トーマスカントル)であったヨハネス・セバスチアン・バッハの後家」。ライプツィヒ市の1760年2月29日付けの戸籍死亡記録に書かれているものである。バッハが彼女のために残した2冊の楽譜集で世界的に有名になったこの女性とは、一体どんな人物なのだろうか?
彼女の生まれについて手短に見てみよう。1701年9月22日、宮廷トランペット奏者であるヨハン・カスパール・ヴィルケの7人兄妹の末子としてツァイツで生まれ、姉と共にプロの歌手を目指した。1721年の夏、宮廷ソプラノ歌手としてケーテンに行くことになった。その数ヶ月後、1721年12月3日に、彼女は1年半前に前妻に先立たれた16歳年上のバッハと結婚。前妻との間の子供4人に加え、二人の間にも13人の子供をもうけたが、大きくなるまで生き残れたのは6人だけだった
バッハが亡くなった時彼女は48歳だったが、未成年の子供達の世話をするため再婚はせず、8歳と12歳の娘二人を連れて親しい知人家族の元で生活をしていた。記録にある「生活保護を受け」という言葉にあるように本当に彼女の生活が困窮状況下であったかどうかは、定かではない
その他の彼女の個人的な情報は少なく、むしろバッハによる2つの楽譜集が極めて貴重な資料である。2冊のうちの古い方、1722年に書かれたものはフランス組曲の一部が脱落して不完全な状態であり、彼はその数年後の1725年には2冊目を書き始め、そこで多くを補ったと見られる
この2冊目は特に愛らしく製本してある。カバーは緑染め羊皮紙をかぶせてあり、表と裏、そして背表紙は金の装飾で飾られており、表表紙には金の縁取りにA.M.B.と1725が打ち込まれている。のちに、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハによってフルネームで記載された
バッハはこの楽譜帳に2つの曲を書いたが、これらはのちに初歩のピアノ練習曲として使われた。その他の多くの短い譜についてはアンナ・マグダレーナ自身の執筆にもよる。メヌエット、ポロネーズ、行進曲など、古くからあった曲もあれば子供達が挑戦して書いたもの、短い楽章などもあり、それはまるでバッハ家を訪れた客人たちが書き記していく家系記録のようなものであった。5ページ目と6ページ目にある有名な2つのト調のメヌエットは、長年にわたりバッハの作品として知られてきたが、実はドレスデンの宮廷オルガニストであるクリスティアン・ペツォールトによるものであり、28ページ目のポロネーズは有名なヨハン・アドルフ・ハッセによるものだった。短編の声楽曲、歌やコーラスもあり、かつての宮廷歌手やその子供たちに歌われたとされ、子供達の始めの弦楽器の練習曲や41ページ目の通奏低音など、子供の教育用に使われた。まさにこの小冊子にはバッハ一家全員が登場し、家族で演奏する曲集になっていった
この冊子全体、もしくは各楽曲の詳細は、新しいバッハの本のⅤ/4版の批評、もしくは同出版社から刊行されている実用書版(BA5115)の「特別注釈」からも読むことができる。聖トマス教会のカントルであったバッハとその家族の活き活きとした日常風景や聖トマス教会楽師長の家庭生活の情景はベーレンライター社から刊行された1725年の楽譜帳のファクシミリ版で垣間見ることができる(Documenta Musicologica, 2段目:手書きファクシミリ、XXV版、カッセルなど、1988)
この版は主にピアノのレッスン用に構成されたため、実用面の観点から楽曲1番、2番、30番と31番は省かれており、その代わりにカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの初期のピアノソナタ2曲を追加している
留意事項
作品名を除き、楽譜の中で編集者による追加事項にはすべてに印がつけられており、斜体文字、スラーやタイ、その他の記号は小さいか薄いステッチで強調されている。そのため、原本通りの文字やf、pなどの記号はまっすぐで記述されている。変化記号は現在のルールに従って記載。編集者が独自の裁量でつけた追加の変化記号(つまり現在のルールに従えば必ずしも必要ではないもの)は、より小さなステッチで記載されている
前書筆者:Georg von Dadelsen
●原文: Bärenreiter-Verlag
Bach, Johann Sebastian
Klavierbüchlein für Anna Magdalena Bach 1725
序文より
●翻訳 浅野容子
©2017 Coastal Trading Inc
| コメント(0)
コメントする
コメントしてください
サイン・インを確認しました。 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)よくあるご質問
関連記事